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人生を面白く生きよう(6月14日全校礼拝にて)

新約聖書 使徒言行録 14章1~7節

 

使徒言行録、最初の教会の物語です。
何人かの主人公、イエス様の弟子たちが登場します。
今日の物語に登場する主人公はパウロです。

パウロは律法の解釈を行います。
イエス・キリストを通して解釈をします。
これに対して賛否両論が起こります。
あるものはパウロに暴力的な振る舞いさえします。
人から非難されても、暴力にあってもパウロはそれを続けます。
なぜでしょうか。

翻って、私たちはどうでしょうか。
人から批判される、否定される。
強く脅されたりしたら、そんなに無理してすることでもないか、と考え、自分のしていたことを修正することもあるのではないでしょうか。
修正できるものであれば、それでいいでしょう。
問題は何があっても譲れない、譲ってはいけないと思うものです。

これを見つけ、実行する。
非難、否定されても実行する。

申し訳ないが、聖学院が目指しているものは、こういう目に遭うことです。
否定をされる言葉を携える者になることを勧めています。
なぜならば、こういう生き方が楽しいからです。
本当に「生きる」と実感をできるのは自分がしなければならないことを見つけた時です。

どうやって、それを見つけるのか。

パウロはイエス・キリストが大嫌いでした。
それが、イエスを信じるもの、イエスの言葉を大切にする者になった。
その変化・転換点を記した物語があります。
その物語でパウロの変化を語る言葉はこうなっています。
「目からうろこが落ちた」です。

自分に貼り付いていたもの。
自分の目を覆っていたもの。
覆われ、貼り付かれていても、それに気が付かない。
それも自分の一部、自分自身だと思い込んでいるもの。
自分と自分でないもの。
その区別。
自分ではないものが自分からはがれ落ちていく。

その時、見えるようになるんです。
分かるようになるんです。
何が本当の自分か。
世界とは何なのか。

人に非難されようが、否定されようが、それは私ではない。
私でないものに私を預けない。
私を明け渡さない。

本当の私を私が守る。
それが一番面白い生き方。

本当の私は何なのか。
それを探すのが勉強です。

自分と出会うため、人生を面白く生きるために今日もしっかり勉強に励んでください。