聖学院の遺伝子とは何か(7月7日全校礼拝にて)
新約聖書 使徒言行録 15章1~5節
使徒言行録は最初の教会の物語。
イエス・キリストの言葉を引き受けた弟子たち。
彼らが教会を作っていく。
それが2000年後には全世界に広がっている。
聖学院もその流れの中から生まれた学校。
教会の最初の物語。
そこに教会・キリスト教が持っている「遺伝子」が表されている。
教会の遺伝子とは何か。
聖学院の遺伝子とは何か。
最初の教会で議論が起こる。
異邦人、外国人にイエス・キリストの言葉を伝える。
異邦人には通じないと思っていたところ、彼らもイエスの言葉を受け入れた。
そこで問題が発生する。
イエス・キリストの言葉はユダヤ教が分かっていなければ本当には分からないと考える者。
この者たちは異邦人にユダヤの規則、規律、「律法」を伝えるべきだと主張する。
これに対して実際に異邦人伝道を行っていたパウロ、ペテロは反対する。
規則などいらない、と。
その後、教会はこのパウロ、ペテロたちの意見を採用する。
律法を、規則を押し付けない。
教会の遺伝子。聖学院の遺伝子とは何か。
律法。
教会が大切にしていたもの。
パウロもペテロも律法を大切にしていた。
大切にしていたもの。
それを捨てる。
大切だと思っているものを捨てていく。
それが遺伝子。
学問とはそういうもの。
自分が正しいと信じていたものを捨てていく。
お湯につけたスプーンが熱くなる。
熱が伝わる。
かつてはエーテルという目に見えないものが伝わっていくと考えられていた。
今はそれぞれの分子の動きが熱になっているとされている。
これが正しい、これが大事と思っているものを捨てて学問は進んできている。
パウロたちが見い出したもの。
大切なのは規則ではない。
イエス・キリストから受け継いだ遺伝子。
大切なのは信じること。
信じるとは何か。
あなたが今度の大会で良い結果を出すと信じている。
これは信じるではない。
期待している、願っている。
こちらの思いを相手に押し付けることは信じるではない。
信じていたのに裏切られた。
言葉としてあるのは知っているが、これはありえない。
信じるのなら結果がどうであれ受け入れる。
自分が賭けられるもの。
吹っ切れているもの。
決断がある。
私の覚悟がある。
規則、規律
これが規則だから、このようにしろ。
そこには思考はない。
考えなくていい。
信じる。
考えること。
問うこと。
自分で考えることを放棄しない。
最後に出てくるものは、これが「私」。
聖学院のOnly One
私が信じられるもの。
何にも頼らずに、人のせいにしない、自分で決断できるもの。
それを探す。
覚悟を持つ。
これが私と自分で言い切る。
それが Only One。
イエス・キリストから
最初の教会
そして聖学院にまで継承されている遺伝子。
「私」を知る。
「私」を生きる。
今日も「私」を生きるための一日にしてください。