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for Others から Only One へ(9月22日全校礼拝にて)

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章11~13節

 

友のために命を捨てるこれにまさる愛はない。
イエス様の言葉です。
友の代りに自分の命を差し出せ。
友を生かすために自分を捨てろ。
言っていることは正しいのでしょうが、自分にはそれは出来ない。
距離のある言葉、自分とは関係のない言葉として受けとめざるを得ない言葉です。
ただこれはそんなに遠い言葉なのでしょうか。

誰かの代わりになる。

たとえば、私がお寿司を食べたいと思います。
魚屋さんや、お寿司屋さんに行ってお金を出せば、お寿司は手に入るでしょう。
ただ、お金を出せが、お寿司が突然、現れるわけではありません。
誰かが、魚を捌いてくれる。
誰かが、魚を取って来てくれる。
誰かが、漁をするために必要な船を作ってくれる。
お寿司を食べたい。
そう思った私は本当はこれらの全部をしなければならないはずです。
どうしてお金を出せばお寿司が手にはいるのか。
私に代わって誰かがしてくれたからです。

誰かの身代わりになる。
これは命のやり取りとなると大変な言葉に聞こえますが、実は社会はそうやって回っています。
誰かが、誰かの身代わりになって機能している。
それが社会です。

誰かが、私に代わって、私の身代わりになってくれている。
誰かのために for Others です。
私たち聖学院が大切にしていることです。

そこで私たちです。
私は誰のために生きますか。
誰の代わりになりますか。
私の for Others は誰ですか。

たとえば泥棒をしたい。
自分にはその体力がないから
あなた、私の代りになってやってきてちょうだい。
ハッキングをしたいのだが、自分にはその技術がないから、
あなた、私の代りになってやってきてちょうだい。
私たちはそんな要望は聞きません。
ならば、私たちにとっての for Othersとは誰ですか。

泥棒や、ハッカーならすぐに判断をすることができますが、
困っている国がある。
大きい国から脅されている。
困っている国の代わりに私たちが戦ってあげましょう。
戦争の多くは代理戦争です。
他の国に行って、他の国のために戦う。
自分の国を戦場にはしたくないからです。
戦争は誰かに代わってです。
for Others が起こしていることです。

今年の夏も暑かったです。
死者も出ています。
この暑さは地球の周期だという説もありますが、人が原因ともされています。
温室効果ガスの排出。
家族のために、この国のために、みんな愛するものに代わって一生懸命に働いてきた。
その結果、地球をとんでもない状況に落とし込んでいる。

誰かに代わってがんばってきたことです。
for Others です。
for Others の結果、このような世界を作り出してきた。
はっきりしていることは for Othres だけじゃダメなんです。

聖書はこのことをどう考えているのか。
聖書の一番最初の物語・創造神話。
ここに人のあり方が記されています。
人は神に似せて造られた。

人は神の代わりなんです。

私が神の代りを生きる。
私が神を表す。
人からどう思われようが、「これが神を表すこと」と信じるならば、それを生きる。
Only Oneです。

私たちが Only Oneを生きなければ世界は戦争を繰り返し、地球はこのままでしょう。
ただ、Only One を生きるものが現れてくれば、世界を、地球を救うことができるでしょう。

私は今日、神を現わしているか。
神の代りになっているか。

自らに問う一日にしてください。