神様は怖くない(10月8日全校礼拝にて)
新約聖書 使徒言行録 18章9~17節
新約聖書の主人公、二人。
イエス様とパウロ。
この二人は同じような活動をして、同じように迫害をされました。
イエス様に至っては命まで落としました。
この二人は何を語ったのでしょうか。
乱暴にまとめるなら、こういうことです。
「神なんか怖くない」
これは周囲の人々を怒らせました。
「神なんか怖くない」
別の言い方にすれば「世界は怖くない」です。
怒った人々
神様が怖いと思っていました。
世界が怖いと思っていました。
怖いものに叱られないように。
怖いものに飲み込まらないように
私たちは努力をするのだと。
より高い点数を獲得する。
より多くのお金を持つ。
より高い地位につく。
みんな世界が怖い、神様が怖い、と思っているから一生懸命にやっている。
それを神様が怖くない、世界が怖くないと人々が思い始めたら、みんな頑張らなくなる。
みんなが頑張らなくなれば、この世界は崩壊する。
だから「神様なんか怖くない」というような奴は社会から追い出さなければならない。
イエス様もパウロも迫害をされます。
今日読んだ聖書の箇所は、そのパウロが迫害をされながらも伝道をしていた時の記録です。
パウロは「神様なんか怖くない」と語り続けます。
案の定、ユダヤ人の怒りを買い、パウロは捕まります。
このようなことはこれまでも何度もありました。
また、同じことが起きました。
ただ、使徒言行録という物語を読んでみてください。
パウロの捕まり方がだんだん変化をしている、弱くなっているのです。
はじめのうちはパウロは弁明をすることも許されず、ムチで打たれて牢屋に放り込まれます。
そんなことが何度もあってから今日の場面です。
ローマ帝国の地方総督ガリオンのところにパウロは連行されてきます。
ユダヤ人が訴えます。
いつものように「この男はとんでもない奴だ」と。
これに対してパウロが弁明をしようとしたところガリオンは即答します。
「そんなことに自分は関わるつもりはない」と、彼らを追い返します。
裁判をしない。
言い方を変えればこういうことでしょう。
「どっちが間違っているのか自分で考えろ」
パウロは迫害を受けました。
迫害をされてもパウロは変わらず語り続けます。
夢で神様の言葉も聞きました。
「黙っているな、語り続けろ、私はあなたと共にいる」
パウロが語り続けることで何が起こっているのか。
パウロの周りが変わってきているのです。
段々パウロの言葉に近づいてきている。
「神は怖くない」
パウロが語った言葉。
それはパウロが本当だと思った言葉、信じた言葉です。
本当の言葉。
それは最初は誰にも分かってもらえない。
応援されないどころか否定をされる。
Only One
誰にも分かってもらえなくても、それでも語る。
周囲は敵になるかもしれません。
ことによると家族や昨日までの仲間が敵になるかもしれません。
敵が怖い、戦うのは嫌だ。
それはそうです。
ですが、本当と出会ったものは、そんな敵なんか、他の人の言葉など眼中にはありません。
敵なんかに、心を奪われない。
無敵ということです。
ライプニッツという人が17世紀にいました。
この人は「二進法」を発明した人です。
世界は「0」と「1」で現わせると。
ライプニッツの言葉に耳を傾けるものはいませんでした。
300年後の現代。
私たちのスマホ、身の回りの家電製品、乗り物、全部「0」「1」で回っています。
「本当」に近づいていく。
それが、この世界です。
世界は”良い”に向かう。
平和に向かう。
「本当」を見つける。
Only Oneが世界を導いていきます。
今日も自分のOnly Oneに近づいていって下さい。