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【報告】母の日礼拝 5月18日(水)行いました

2016年5月18日(水)、80名近い保護者の方と共に「母の日礼拝」が行われました。いつも顔を合わせているので感謝のことばを言うのは照れますが、この機会に作文を書いて素直に思いを述べました。その作文は涙あり、笑いあり。比喩などを使って活き活きとした姿を描き出していました。すべのお母さん、ありがとう。

 

「前を向いて」 田村信民

「お誕生日、おめでとう」と言われた直後、悲劇? 喜劇?が起こった。私の母が小さい頃の誕生日。バースデーケーキに夢中になっていた母は、ロウソクの火で前髪をちりぢりにしてしまったらしい。そんなことばかりだったという母。一方でとても力強い面も持っている。私たちが小さい頃の世話や家事で鍛えられた腕が横綱・白鵬のようで、その力強さを象徴している。

私が聖学院に入る前に行っていた受験勉強のことだ。4年生の頃から塾に通っていたが、私は塾の先生とうまく関わることができずに辞めてしまった。そして、新しい塾に通うようになった。しかし、その新しい塾も1年が経つとある期間ずっと休んでしまっていた。そんな私の受験勉強でも、母は常に前向きな言葉をかけてくれた。中学受験当日の朝、「気楽にね」と送り出してくれた些細な一言。このような前向きな一言一言があったから、今、私はこの聖学院にいるのだと思う。

母にはこれまでたくさんの協力をしてもらった。そして、前を向き続けることの大切さを教えてもらった。昔は母に対しての感謝の気持ちを家の片づけや家事の手伝いで伝えていた。しかし今、思い返すと中学生になってそのようなこともなくなっていた。だから、この場を借りて感謝のことばを伝えさせてください。今まで本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 

「疲れた母へ」 寺田賢成

 母はまるでルーマニア人のようです。なぜなら、母はチョコレートが大好きだからです。ルーマニアは世界で最も一人当たりのチョコレート年間消費量が多い国です。多くの国民がたくさんチョコレートを食べています。きっと母の祖先がルーマニアと関係しているのでしょう。

母がチョコレートを好きな理由は他にもあるのかもしれません。「あー、疲れた」この言葉を母はよく言います。なぜなら、母は体が弱いからです。仕事を終えて帰ってくると、お風呂を洗って夕飯を作ります。そして、食べ終わると、食器を洗って洗濯物をたたみます。私はこのような母を、休んだ方がよいのでは、といつも心配しています。

仕事から帰ってきて疲れていそうな母に何かしてあげられる事はないか、と思って、手伝いをしています。たとえば、すぐに夕飯を食べられるように私が作ったり、お風呂も洗っています。私が夕飯を作ると、母はいつも喜んでくれます。私は喜んでいる母を見るのが好きなので、作れる時はなるべく作るようにしています。

母はいつも家族のために家事や仕事をしてくれます。だから、母には感謝してもしきれません。お母さん、いつもありがとう。これからも元気でいてください。できることならやるので、もっとぼくを頼りにしてほしいです。お母さんはがんばりすぎだと思うよ。たまにはゆっくり休んで、充電してください。そして、お母さんを見習い、ぼくも勉強や部活をがんばります。

 

「見上げた母の顔」 杉崎涼斗

私は後悔している。あんなことを言わなければよかった……。

「クソババァ」

まだ5歳のある日、母とけんかになってしまった。当時、まだ言葉の重さというものを知らなかった私は、母に対して「クソババァ」と言い放ってしまった。私はすぐに母の顔を見上げた。きっと怒っているのだろう、と思っていた。しかし、それは違った。母は目を赤くして今にも泣きそうな顔をしていた。その時、私は初めて言ってはならないことを言ってしまった、と思った。その直後、母は私の頬を力強く叩いた……。こうして振り返ってみると、私は母に対して謝らなければならないことがたくさんある。私が幼かった時、母にはとても苦労をさせたと思う。

今まで母はどんな時でも私の面倒を見てくれていた。私が夜遅くに高熱を出したことがあった。母は朝早くに仕事に行かなければならないのにも関わらず、救急に連れていってくれた。その時、見上げた母の顔は、まるで自分自身のことのように心配している顔だった。その時、やっと私は母の大切さに気づけた。そして、これからは母のことを思いやっていこう、労っていこう、そして支えてあげよう、と強く誓った。中学生になった今、今度は私が母を助けてあげる番なのだ。

母へ、今までありがとう。そして、苦労をかけてごめんなさい。いつまでも私の誇れる母でいてください。

 

「大人になるにあたって」 栗原樹

「お母さーん、お兄ちゃんが手伝ってくれない!」

また弟の声が聞こえる。その後、口うるさい母がツカツカとやってくる。

「手伝ってあげなさいよぉ!」

正直に言って、弟を手伝うのはとても面倒くさい。例えば、弟がでなくしたものを探せというのが最も面倒くさい。だから、どうして弟のものを探さなければならないのか、といつも思う。そして、心の中では弟はマザコンだ、などと考えていた。

ある日のことだ。「お母さん! お兄ちゃんが一緒に歯磨きしてくれない! こわい!」という聞き覚えのある声が聞こえる。また弟だ。「小学3年生のくせにまだ独りでいられないのか!」と思いながら、仕方がなく一緒に歯を磨いた。歯磨きを手伝いながら、「どうせまた怒りに来るんだろう」と思っていた。しかし、母の怒鳴り声は聞こえてこない。おかしいな、と思いながら、その訳を数日考えた。すると答えが出た。間違っているのかもしれないが、弟を手伝うことは兄としての常識なのだ。そして、将来のために役に立つことなのだ。だから、少し意識をして母の言ったことを思い返してみた。すると、様々な所で怒られたことや教わったことがとても役に立っていることに気がついた。

母はいつも厳しいが、母が言ったことを将来の事でとらえると、とても役に立つ。だから、もっと怒ったり、教えてもらいたい。そして、これまで様々なことを指摘してくれてありがとうございます。

 

「少女が作った母を敬う機会」 中村翔太

毎年5月第2日曜日は、世界中で「母の日」となっている。1905年5月9日、アメリカの少女アンナ・ジャービスが母の死に遭遇したことで、生前に母を敬う機会を設けようと働きかけたことが由来とされている。

私の母を一言で表すと「赤ペン」だ。様々なことに成功したり失敗したり、完璧ではない私は例えてみると「鉛筆」。そんな私を褒めたり、叱ったりするからこそ、母は鉛筆書きに評価を入れる「赤ペン」なのだ。成功したら花丸、失敗したらチェックをして間違いを直してくれる。また、母はいつも元気で何事にも諦めない。私は母から様々なことを見習わなければならない、と思っている。

しかし最近、よく母とけんかをする。意見がかみ合わないからだ。そして、私は反抗的な態度を取ってしまう。そんな時、私も悲しいし、母も心に傷を負っているのだろう。そうは思うものの、なかなか直すことができない。しかし、この母の日をきっかけに、アンナ・ジャービスが母を敬う機会を設けた意味を考え、なるべく反抗的な態度を取らないように気をつけたい、と思う。

母の日は母へ感謝をする日だ。いつもは恥ずかしくて言えないが、すべてのことに対して、「お母さん、ありがとう」。