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【高校卒業式メッセージ】イエス・キリストの志を継承するということ

新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 1章1~5節
人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように。アーメン。


聖学院では
聖人
Only Oneを探せと言ってきました。
私たち大人は皆さんに聖人を、Only Oneを指し示すことができたのか。
卒業のときを迎え、その心配が心にあります。

私たちは聖人、Only Oneを聖書の中に探す。
その作業をしてきました。
使徒パウロ
この者の聖人性、Only Oneを最後に紹介をしたいと思います。

使徒パウロ
イエス様の直接の弟子ではありませんが、イエス様に従うものとされています。
ですが、パウロは本当にイエスの弟子なのでしょうか。

ご存知のようにパウロは異邦人に福音を宣べ伝えます。
一方のイエス
この方はイスラエルから出ることはありませんでした。
ガリラヤで育ち、最後はエルサレムに赴く。
同じ民族としか接してきませんでした。
「そんなことは異邦人でもしている」と異邦人を蔑むような発言さえあります。
おそらくイエス様の行動は同民族の中に留まっていたものです。
それはイエス様と直接、生活をした十二弟子も同じものだったと考えられます。
異邦人に接近をし、異邦人に福音を伝える。
それは十二弟子を中心とするグループには理解できなかったものだと思います。

パウロはガラテヤの信徒への手紙で「人々からではなく、神とイエスによって自分は立っている」と言います。
人に依存していない。
そしてイエスによって立っていると言います。
イエスに応援されているという意味もあるでしょう。
ただ、この言葉は十二弟子のグループのものからは反発を受けたものだと思います。

「イエス様は異邦人のところには行っていない。
パウロはイエス様の名前を勝手に使っている偽物だ」。

イエス様はもちろんOnly Oneの方です。
それまで人々が信じて来た律法の解釈をひっくり返したのですから。
人々は思っていました。
律法を守らないと神様に叱られる。
律法にすがらなければ幸せにはなれないと。
これに対してイエスは、律法はそんなことを望んでいない。
律法が本当に言っていることは何にすがらなくとも神様は変わらない。
ちゃんと私たちを愛し、私たちを守っている。
この世界に私たちは守られている、と。
だから律法に執着するのはおかしいとしました。
その結果、律法こそが大切だと思い込んでいたものたちから
イエスは律法を疎かにするとんでもないやつだとレッテルを貼られ十字架にかけられました。

Only Oneを継承するとはどういうことでしょうか。
イエス様と同じようにする。
それもひとつの継承の方法でしょう。
ただそれはイエス様の真似をしているだけですからイエス様に依存をしているNumber Oneの発想です。
パウロは、自分はイエスの弟子だとの自覚がありました。
Only Oneを継承しているとの自信がありました。
パウロは何を継承したのか。

イエスが執着をしないと説いたのだとしたら、「異邦人がダメだ」という民族主義にも執着をしないのではないか。
異邦人と平気で付き合うのではないか。
たまたまイエス様のそばに異邦人がいなかっただけで、本当のイエス様の志は違うところにあるのではないか。
イエスの生前の振る舞いをコピーする。
それはイエスの考えを継承したことにはならない。
本当にイエスの志を継承する。
それは自分の信じるイエスを引き継ぐこと。
形は違っても、振る舞いは異なっていても、自分の信じるイエスを再現する。
それがイエス・キリストの弟子になることではないのか。

パウロの時代から数百年経って聖書がまとめられていきます。
聖書として残ったもの。
パウロの言葉ばかりです。

この出来事から私たちは何を学ぶのか。

真理というものがもしあるのなら
それは誰かの真似をしてもたどり着けない。
自分を信じて
自分だけを見つめるOnly One
そのものだけがたどり着けるところにあるもの。
それが真理でしょう。

私たち聖学院は120年間「聖人になる」ことを勧めてきました。
Only Oneを目指せと言ってきました。
それは真理、もっとも大切なものと出会ってほしいからです。

「我は君が学園を聖学院と名付けた。
聖学院とは聖なる学院にあらず。
聖学の院である。
聖学とは聖人に学ぶのみならず、自ら聖人になることを言う。
されば本学の目標は聖人を育成することにある」

聖人になる
この世界でもっとも大切なものと出会ってください。

卒業、おめでとう。