SEIG NEWS

高Ⅰ進路講演会(7/16-7/20)

7/16から5日間、高校1年生対象の進路講演会が行われました。
各方面で活躍されている方々に『人生のグランドデザインをどう考えるか~』をテーマにお話をいただきました。

【7/16 初日】
上野和彦氏(学芸大学名誉教授・特任教授)
★講演内容他★
講演者は二人のご子息が本校の卒業生であられます。お兄さんは本校が開始するハワイ留学をサポートする会社の職員。糸魚川農村体験の第1期生。宮崎先生が担任されました。弟さんはICUから横浜国立大学大学院、日本経済新聞記者。田中が担任しました。父親であられる上野和彦先生ご自身は元学芸大学教授(経済地理学)。聖学院の良き理解者として、ユニークな聖学院高校で学ぶ意味までお話くださいました。高校1年生の夏休みになる今、何をするべきか。感性を磨け。読書15冊チャレンジ。好きこそものの始まり。それをやり通せ。聖学院の体験学習の機会を生かそう。などなど、自分のやりたいことをかなえるためには、関門がある。それなりの努力は絶対に必要。最低限の勉強はしろ。決して他人事ではなく、69歳になられる上野先生がいくつになっても興味関心のアンテナをはりながら、自分の体を使って調べつくす態度に脱帽いたしました。生徒も教員も元気が出る、お話しでした。
DSC_1198

 
【7/17 二日目】
北澤 肯氏
★講演内容他★
「NOMDA遊牧民」という言葉でご自身を紹介されることで講演は始まりました。
企業という組織にしがみつかない生き方を近年このように呼びます。日本の大学卒業後、アメリカの大学留学。帰国までにバックパッカーとなって世界1周の放浪の旅をされました。そしてキリスト教系のNGO職員現地駐在員としてカンボジアに派遣されます。その後、フェアートレード普及員として国内で活躍。ご自身いわく一組織という枠に自分はおさまらない人間だとも。結局、個人企業家として、またその多彩な経験を生かして、政府系のJICA嘱託のスタッフとして1年間のほとんどをベトナム、セネガルと日本を往還する生活。この現在の仕事の根底には、聖学院で学んだ海老原先生、鄭先生からの地理や現代社会で南北問題、人権、環境問題を学んだことがあるそうです。そしてクリスチャンだからこそ奉仕派遣されることに使命感を持ち続けられたそうです。さらに刺激的なことは、北澤さんの個人的な人脈、ネットワークがすべて生かされていることです。最新のパソコン、SNS,インターネットを駆使して世界の人々と瞬時に結ぶ付いていることです。そこにビジネスセンスを持つことで生徒にはより現実味をもって聞くことができたはずです。北澤さんの趣味を超えたライフワークとしてマウンテンバイクの普及、レース開催をビジネスと結ぶ付け、世界の人々ときちんとつながっています。絵空事ではない、原発反対と叫ぶにも、憲法と人権の大切さを訴えるにも、児童労働の搾取を告発するにも、聖学院で培った感性とその後の出会いが、こんなにも自然体で命の息吹を伝えてくるものか、さわやかな衝撃を頂いた講演会でした。
033

【7/18 三日目】
柳家三之助さん(落語家)
★講演内容他★
「何となく生きる人生であってはならない」これからは寄らば大樹、大学さえ出ればなんとかなる、言われたことさえやっていればいい時代は終わった、と三之助さん。千葉県の銚子のご出身。高校時代から給料取りの人生は送らない、決めていたそうです。そのため親に頼らないと新聞奨学生になり新聞配達をしながら大学を送り、3年生の8月31日に噺家になろうと思い立ったそうです。1年間かけてその思いを自己吟味と情報収集をしようと決心し、頻繁に落語会に出向いたり、噺家の観察。そして1年後の8月31日に改めて噺家の弟子入りを決定。こんな刺激的なご自分の思い出話をたくさん散りばめながら、人生のグランドデザインを語って下さいました。売れっ子の噺家としてテレビ、ラジオ、雑誌インタビューなどメディア登場はたくさんあられますが、ご自身は噺家としてはやはり、寄席こそ本命と言われます。ブログ、ツィッターなどインターネットを駆使される時代の先端を行く若手ですが、聴衆を目前にしての語りこそ一番。そして誰も頼れない、支えは自分だけが落語家生活の真実。
危機感をもって、今の時代に何かをみつけ、さがそうとする人にならなければならない。高校1年生であっても、今、細かなことはわからなくても、自分のやりたいこと、行き先はどちらなのか?どっちの方向に向いていくのか、それを探る一歩を取らなければ何も始まらない。今の時代、あまりにたくさんの情報を取捨選択しなければならない。のんびりしていられない。模索しながらの人生は寄り道だってあるものだ。フリー、独立事業、とは実はとても古くて新しい創造的な仕事であると、感銘を受けました。 
DSC_1244


【7/19 四日目】

守屋英一氏(シニアセキュリティーアナリスト)
★講演内容他★
その現在のお立場からすれば、厳しいまなざしを周囲を圧倒するような方かと予想していたものが、初対面ですぐにその予想は覆されてしまいました。なんと腰の低いかたかと。今、内閣官房のサイバー攻撃対策、明治大学研究所研究員としてご活躍されています。
現代世界を震撼させるサイバー攻撃の実態を映像を駆使してご紹介くださいました。アメリカ対中国は有名です。日本政府内部にもようやく発足したそうです。お立場から防衛省のサイバー部隊編成事情という貴重なお話しをくださいました。生徒達も刺激的な内容にひきつけられます。
後半は一転して、ご自身の履歴を話されます。私は大学に行っていません!このひと言にも正直驚きました。これだけの経歴と活躍を高校卒業だけで、どうして可能なのか?という疑問です。 ご自身は聞き手の戸惑いなど何吹く風とばかりに、ただ自分の好きなことへののめりこみの物語を進めます。高校卒業後、合成ゴム製造工場に就職。ただ東京に出たいの一心。7年後、好きなマンガの影響でサイバー攻撃に興味を持ち、これがずっと今の仕事につながります。ハッカーとは何か?PCサポート、修理の仕事に転職。その後はサーバー会社の派遣社員、3ヶ月に1度転職を繰り返すうちに、コンピューターのセキュリティーエンジニアとしての就職に成功。念願のサイバー攻撃監視の仕事を11年間。全国500社以上の企業がいかにサイバー攻撃されきたかを目撃したそうです。現在はIBM入社。アメリカのFBIからの指導でセキュリティー対策専門チームを発足。24時間体制監視。しかしこれは全世界のネットワークでは英語による会話が常識であり、ご自身は英語力向上を今も痛感し、研修継続中だそうです。
2012年6月発売されたご自身の初著書『フェイスブックが危ない』(文芸春秋社発行)は現在までの築き上げたネットワークを駆使しての産物であり、ツィッターでのつぶやきがすぐに友人によって拾われ、課題解決が可能になったそうです。
35歳ころまでは自分はすきなことだけして済んだ。それがそれ以降、仕事の部下統率の困難、仕事への飽き、など壁が訪れた。他人のために何ができるのか?出版も含め、世間一般に向けたスタンスを持つようになって初めて巾を広くもてるようになったとも。
これまでの3日間同様に、やはり、技術を生むのも技術を壊すのも人間次第だということを今日も学んだものです。
DSC_1331


【7/20 最終日】

野呂エイシロウ氏(戦略的PRコンサルタント、放送作家)
★講演内容他★
野呂エイシロウさん  愛知工業大学の学生時代から三菱電機・三菱総研のハウスエージェンシーだったアドメルコが共同でつくった学生企業「メルブレインズ」に所属。商品開発、PR戦略、学生マーケティングに携わる。三菱電機の学生向け家電製品「自由が丘シリーズ」の企画・開発・宣伝に携わり、多くのメディアに登場する。出版社を経て日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で放送作家デビュー。株式会社MIP取締役、多数の企業経営に関与。日本脚本家連盟、日本放送作家協会会員、日本広報学会会員。
冒頭から軽めの語り口が、よどみなくご自身の少年時代の思い出、あこがれの芸能人に会いたい一心で猛勉強、東大に入りたい。その後の挫折の話はほほえましくも、経験に裏打ちされた斬り込みで、宝石のような命題が隠されていることを聞き手に気付かせてくれました。「お金儲けしたい」「女の子にもてたい」「おしゃれな格好をしよう」「人生は思い通り」「投資志向」軽そうなテーマに聞こえますが、明確な目的意識を自分の努力で本気でつかもうとしているのか?よく私達はテスト、事業などがうまくいかなかった時に、言い訳のように「自分の実力が出せなかった」といいがちです。しかし野呂さんならば、「低いテストの点数、それが自分の実力そのもの」「うまくいかなかった結果は自分が招いたもの」「本当にいい点を取りたいと思って、本気で取り組んでいなかった」、と。
果して面白おかしい世界が放送、広告業界なのか?いいえ、もっともせち辛い、手厳しい、容赦ない、競争社会か、と有能な人、当たり前に努力できる、人だけが生き残る社会なのでしょう。それは日本全体がいまや「寄らば大樹」の就業形態は崩壊した証拠でしょう。
DSC_1361