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主体的に学ぶ「意欲」は賜物(タラントン)

天候に恵まれて中学、高校の体育祭が無事終わりました。高校体育祭のテーマは「One for all, All for one ~記憶にも残る青春の1ページを~」でした。
学校教育において「行事は人を育てる」とよく言われますが、同一の経験をしても主体的に関わる人とそうでない人の体験は異なってしまいます。
体育祭が終わって校長室に生徒会長や体育祭委員の方々7名がわざわざ挨拶に来てくれました。皆の顔には大きなことをやり遂げた充実感があふれていました。彼らは見えないところでプログラムの作成やその他の準備、当日の運営、そして皆が活躍できる場の設定に率先して働いてくれました。体育祭という行事に主体的に取り組み、最後までやり遂げた彼らにはこのことが貴重な体験として彼らの「経験の束」に加えられたことでしょう。
聖書の中にタラントン(賜物)のお話があります。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで自分の財産を預けた。一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントン。
5タラントン、2タラントン預かった僕は出て行って預かったものを活用して結果その倍を儲けた。主人は帰ってきたとき、それらの僕に対して同じことばで労いました。「忠実なよい僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイによる福音書 25章21節)
先の生徒たちはこの5タラントン、2タラントンを預かった僕になぞらえることができると思いました。ところで、1タラントン預かった僕はどうなったのでしょうか?お知りになりたい方はぜひ、聖書のマタイによる福音書25章をお読み下さい。