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校長対話『書ける英語』

今、戸邉校長は、毎日多くの保護者と面談をしている。保護者の想いに耳を傾け、その想いを聖学院の教育の中でどう解決したり実現していくのかシェアしている。そして、そこで気づいたことを教員とさらに対話することによって、聖学院の教育の質をより豊かにする行動に出ている。今回は英語科の教員と語り合った。

戸邉校長: 聖学院は初代校長の石川角次郎以来、ずっと英語の聖学院だった。当時の日本は、欧米と肩を並べるべく近代国家づくりに突入し、その結果近代化の矛盾に巻き込まれていく。聖学院は、その近代の問題に直面していた師弟とともに、それを乗り越えるために英語を学んだ。そして、今日のグローバリゼーションの時代にあって、やはり同じような問題が今もなお横たわっている。したがって、建学の精神の1 つとして英語を中核におく聖学院の教育には、世界や日本固有の問題を解決する人材を輩出するチャンスがあると思う。そのためには、明治の先達者がそうだったように、自分の考えを世界の人に発信できる英語力が大切になる。その英語力とは「書ける英語」の力である。ぜひいっしょに生徒たちの知性や精神をそのレベルまで育てよう。

英語科:その理想を実現することは確かにすばらしいことであるし、できると思う。しかし、そのためには、言葉の基礎力や読書など、英語科以外の教科との協力も大いに必要である。つまり、書くためには自分が伝えたい内容を内面に持っていなければならない。知識をインプットするだけではなく、アウトプットするには、知識をつなげる問題意識が必要であり、とにかく語りたいことがなければならない。

校長:理想だからといって、最初から理想的なレベルからはじめる必要はない。大事なことは興味や関心である。日々の生活の体験の中で、食べたい、聴きたい、知りたい、見てみたいという興味や好奇心をもったところから、習ったばかりの英語で毎回なんとか表現していくというチャンスを作っていくことから始めるとよいと思う。

英語科:その興味からはじめることには賛成だし、そうだと思う。しかし、一方で正しい英語を学ぶ必要があるから、ある程度英語のことばの体系を学んでからでもよいのではないかと思う。

校長: たしかに正しい英語は重要だけれど、大きな体系が身につかないと、「書ける英語」が身につかないかというとそうでもないだろう。実際多くの外国人は、多言語を使いこなすが、大きな体系から学びはしない。何か伝えたいことがあるから、その言語を学ぶというかなり必要にせまられてという場合が多いだろう。私もタイに滞在していた時に、3 か月くらいでタイ語をなんとか話した。また、とにかく手紙を書いた。その内容は時候のあいさつではなく、今日の経済情勢を読みながら、企画を通すというもの。大きな体系を待っていたのでは、企画を通すのに間に合わなかった。

英語科: もっともだと思う。しかし、それはまさに校長がおっしゃった外国語を使う環境にせまられてということだと思う。だから、聖学院の授業以外でも英語を活用する環境をさらに整えていくことは重要である。英語で学び合う授業もその一環だし、外国の提携校の生徒とメール交換するのも重要だと思う。タイ研修から帰国した生徒が、ミャンマーの子どもたちに英語で手紙を書いて送るということをどんどん実行した方がよい。アウトプットの回路環境をつくるのが大切なことは言うまでもない。

校長: 英語の資格検定試験でどんなに高いスコアをとっても、世界の問題について語り、文章化して表現できなければ、世界で通用しない。だから、そういう環境をどんどん作って欲しい。最終的には論文を英語で書いて、大学に提出するようなところまでいこう。欧米では、英語のレポートやステイトメントを提出するのは当たり前だが、日本の大学ではそうなっていないところがほとんどだ。しかし、入試も受け身ではなく、こちらからアピールしたってよいではないか。

英語科: 校長先生が話された石川角次郎先生の大きな志は、少し重たく感じていたけれど、生徒の進路にも役立ちながら、進路指導以上の探求を生徒とできるのは大いに賛成。でも、必ずしも英語でなくてもよいのではないだろうか。

校長:もちろん、たしかにその通りだね。

英語科: そうではあるが、学問というのはどこから入ってもよいわけだから、英語から教養教育にはいっても全く問題ない。むしろそういう内容に意欲を燃やす生徒がでてくるのは大歓迎ではないだろうか。

校長: そう、モチベーションを上げることは重要である。しかもそのモチベーションは、外からインセンティブを与えられて燃えていたのではまだまだ。内側から燃えないと。生徒がモチベーションを内面から燃やすにはどうしたらよいのだろうか。難しい問題だね。

英語科: 考えたことをアウトプットする、つまり話したり書いたりするには、たしかに表現すべき内容やその背景知識が有機的につながっていなくてはならないが、それよりも何よりも、重要なことがある。それは、生徒が話したり書いたりという行為をしたときに、その行為を教師がリスペクトできるかだ。表現したことを教師に尊重されると、生徒はそれを誇りに思い、自信を抱けるようになる。日本の多くの子は、シャイだということになっているけれど、どうせ話しても書いても、たいしたことないと捨て去られるのだからと思うと、表現する行動を控えるのは当然だ。聖学院では、誇りをもち自信をもって、アウトプットしてもらえるようにしたい。

校長: その通りだ。生徒のオンリーワンを大切にしながら、その生徒の言動が社会に役に立つという実感を持てるように、世界に立たせよう、臨場感を抱ける世界の現場に誘おう。その格好の場は、模擬国連だ。先生方、生徒のチャレンジ精神を、おもいきり奮い立たせてほしい。期待しているよ。