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【シリーズ:聖書の思考回路】第2回

前回に続き、もう少しだけ聖書の歴史についてお話をさせてください。
現在の聖書は選別の末に成立をしたものだと、前回、お話をしました。
選別の基準は共通の「思考回路」を持っているか否か。
共通の思考回路を「聖書の思考回路」ですが
その「聖書の思考回路」とは何か。

聖書は沢山の書物が寄せ集められて出来上がっているものです。
ですので作者はもちろんのこと、執筆の場所も時代も異なります。
異なり多岐にわたるのですが執筆が集中的になされた時代はあるのです。
旧約聖書、新約聖書、同じような状況に覆われた時に、集中的に執筆が進められています。
戦争に直面した時です。

旧約聖書が集中的に記されたのはバビロニア帝国との戦争です。
新約聖書が集中的に記されたのはローマ帝国との戦争です。
そして、どちらの戦争でもイスラエルは敗戦を経験しています。

「聖書の思考回路」とは敗戦の経験から出てきた言葉です。
敗戦で見出した世界観。
それが「聖書の思考回路」を生み出していると思われます。

その「聖書の思考回路」をもった文書であれば、敗戦当時に記されなくても、正典として認められたのではないか。
逆に言うならどんなに敗戦時に記されたものであっても、敗戦から何も学んでいなければ正典にならなかったのではないかと考えられます。

敗戦という絶望的な状況。
そこではこれまでの価値観、世界観はすべて否定され崩壊してしまいます。
その状況下で過去のものにしがみつくものもいたでしょう。
先が分からず自暴自棄になったものもいたでしょう。

その中である人々が「新しい世界観」「ものの見方」を構築していきます。
「世界は本当はこのように考えれば良いのではないか」
「このように考えれば未来への希望が生まれてくるのではないか」
それがある思考回路となって定着していく。
その思考回路によって記された神話、詩、物語が聖書となっていく。

絶対絶命の世界の淵に立たされて「聖書の思考回路」は生み出されたものと思われます。
この思考回路は絶望を知っています。

「神なんていない」
そう叫んだ経験のある思考回路です。

絶望から生まれた世界観・聖書の思考回路、
これについて次回はもう少し具体的に踏み込んで行こうと思います。