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【シリーズ:聖書の思考回路】第4回

「定言命題」とは何か。
これを今回からお話しします。

「定言命題」についてとても分かりやすく整理をしてくれたのはインマヌエル・カントです。
ここからはカントの整理を借りてお話です。

カントは「定言命題」をもう一つの「命題」と比較して説明をしていきます。
もう一つの命題、それは「仮言命題」というものです。
まずは「仮言命題」の説明からいたします。

「仮言」とは「もし~ならば・・・である」という形を思い出していただければ十分です。
この「もし~ならば・・・である」を少し丁寧に見ていきます。
「~」「・・・」のままだとイメージがわきにくいので具体的なものを代入して考えてみましょう。
犬に向かって言った飼い主のセリフとしてみます。
「もしお前がかわいがられたいなら番犬の務めをしなければならない」
「~」は「かわいがられる」
「・・・」は「番犬の務め」です。

この主人のセリフに犬が同意するのであれば「かわいい」は目的になります。
そして「番犬の務め」は条件、原因です。
いわゆる「原因と結果」というものは「仮言命題」ということになります。

「原因と結果」「仮言命題」は言い方こそ馴染みのないものでしょうが、私たちの日常的な考え方です。
「いい成績をとれば未来は開かれる」
「お金を持てば幸せになれる」
これらは「原因・結果」「仮言命題」です。

そこでカントです。
カントはこの仮言命題をじっと見つめ、ここに潜んでいる問題性を指摘します。

犬の話にかえります。
犬が「かわいい」を真剣に求めるならば何をすればいいのか。
当然「番犬の務め」です。
番犬をちゃんとすればご主人から、かわいがられる。
いたって簡単なここです。
この犬が「かわいがられる」をもっと求める、あるいは「かわいがられる」を永続的に求めだすと犬は何をするのか。
番犬の務めをさらに励んで行うことでしょう。
原因と結果ですから番犬をちゃんとすれば更に「かわいがられる」でしょう。
犬は目的を獲得したことになります。
目論見通り、幸福なことでしょう。
ただ、ここで犬も気が付いていない問題が発生しています。
「かわいがられる」の目的が大きくなればなるほど、原因である「番犬の務め」も比例して大きくなります。
そしていつしか「番犬の務め」なしに生きることが考えられなくなるほど、「番犬の務め」が絶対のものになっていきます。
犬にとっての「番犬の務め」はなくてならないものです。
なくてならないもの。
絶対に手放してはならないもの。
犬は「番犬の務め」に固執します。
「番犬の務め」なしには生きられない。
そのように思い始めたら犬はいつしか依存の中にいます。
依存の裏返しの言葉は「支配」です。
「支配」「不自由」に犬は飲み込まれているのです。

犬にとっての「番犬の務め」は私たちにとっての「お金」「点数」と同じかもしれません。
私たちも「お金」「点数」に依存、支配されているのかもしれません。
それがカントの指摘です。

幸福のはずの犬が実は支配の中に置かれている。
幸福とは「支配」「不自由」と共存することなのか。
仮言命題の思考にはそういう問題性があるのです。