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神様の言葉はどこにでもある(4月18日全校礼拝にて)

新約聖書マタイによる福音書 4章1~4節
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食をした後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」

 

イエス・キリスト
私たち聖学院が大切にしている方です。
そのイエス様が最初に経験したことは誘惑を受けるということです。
私たちも年度のはじめを歩んでいます。
最初に体験すること誘惑
それに立ち向かう。
誘惑とはどういうものか、考えてみましょう。

イエス様は、理由は分かりませんが断食を始めます。
40日間
空腹になります。
そこに悪魔がやって来ます。
ただ、この「悪魔」をどこかにいる邪悪なものと考えないで下さい。
ごく近しい誰か
ことによると自分自身の中にいるもう一人の自分
とても近い、親近感のある者と考えてみてください。

その者が問いかけます。
「お前が神の子なら、石をパンに変えろ」と。
「神の子」
イエス様のOnly Oneです。
これが私
これが本当の私
神の子

お前がOnly Oneなら石をパンに変えろ。

パンとは何でしょうか。
生きるに必要なものです。
あればあるほど安心なものです。
お金、名声、権力
お前がOnly Oneなら
お前に本当の実力があるなら
お前の力、能力を、パンを得るために使え。

これは実は私たちも考えていることではないでしょうか。
自分のOnly Oneを探す、見つけたい。
なんのために?
富を、尊敬を、力を得るために
Only One
賜物を探している。

おそらくイエス様の心も揺さぶる誘いだったと思います。
ですが、そこでイエス様が返した言葉は
「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
というものでした。
この言葉の背景を説明します。

かつてイスラエルの民はエジプトで奴隷となっていました。
その奴隷状態から、ちゃんと自分で生きられるように母国に帰ろうと
モーセをリーダーにエジプトを脱出するのです。
ただ、母国カナンにはすぐに帰ることができると思っていたのですが
40年もかかってしまいました。
荒れ野の40年と言われます。
もうすぐ約束の地にたどり着けると言うときに自分たちのこれまでをふり返ります。
苦しい苦しい40年だった。
家もなく、パンもなく、苦しい毎日だった。
だけど不思議とここまでやってこられた。
パンはなかったけれど生きてこられた。
どうして生きてこられたんだろう。
自分たちが生きてこられたのはパンを食べたからではない。
大きなものに守られていたからだ。
そのことに気が付いた時の言葉が
「人はパンのみで生きるものではない
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」です。

神の口から出る一つ一つの言葉
その言葉は「これが神の言葉だ」とは分からないものです。
気が付かないものです。
ただ自分のこれまでをふり返った時
どこかに神様からの言葉があります。
どこかにではありません。
どこにでも神様の言葉があります。

自分が楽しいと思ったこと。
嬉しいと感じたこと。
これ違うなと思ったこと。
自分のこれまで
正直な自分のこれまでに神様の言葉は隠されています。

誰しもが「大事だ」というパンでは、本当は、人は生きることはできない。
パンではない、自分の中にある何か
それが本当に人を生かすものです。
自分の中にあるOnly One
それを探す一日にして下さい。