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一学期終業式 式辞

6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピの信徒への手紙4章6節~7節)

おはようございます。皆さんが元気に登校してくれていることを嬉しく思います。現在、新型コロナの感染者数が首都圏のみならず、全国的に増加傾向にある中で、このように分散登校による一学期の終業式を迎えることになりました。6月から対面授業と家庭学習を組み合わせて、段階的に学校再開を進めてきました。生徒の皆さん、教職員、保護者の皆さんが努力と工夫を重ねながら、新しい変化に対応しながら兎にも角にも今日を迎えることができたことを喜ぶと共に、私たちを支えてくれた家族や周りの方々に感謝しましょう。また、今も病院など医療に携わってコロナと戦っている方々に感謝しましょう。コロナに関しては、もう、どこで、誰が感染してもおかしくない状況です。感染者が出た時、その人を責めるようなことがあってはならないと思います。興味本位に誰が、どこでと詮索するのではなく、その人の痛みを共に感じつつ、どうやって対処し、乗り越えていくかみんなで考えていきたいと思います。

今日は一学期の終業の日です。ある意味、人生は「出直し」の連続と言えます。小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学へ進学するとき、新たな出発があり、それは同時に出直しの切っ掛けになります。これからクラスで、担任の先生から通知表を頂き一学期を終えます。通知表をみて、出直しの必要を迫られる人がいるかもしれません。夏休みに入る時、或いは、夏休みを終えて8月24日からの二学期を始めるとき、出直しのチャンスが誰にでも与えられています。悔いの残らないようチャンスを生かしましょう。人生は「出直し」のチャンスの連続です。

今日の聖書の言葉を見てみましょう。使徒パウロは新約聖書の中の17通の手紙を書いており、そのうち4通(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)が獄中で書かれており、その中の一つがこの「ピリピの信徒への手紙」です。
主イエスキリストを宣べ伝えたことで牢獄に入れられ、明日はどうなるのか不安の只中にあったパウロが、獄中でこのような喜びに溢れる手紙を書いたことを思うと驚きを禁じ得ません。

「何も思い煩わないで・・・」(6節)とあります。「思い煩う」の原語の意味は「心を分離する」或いは「心がバラバラになってしまうこと」です。心があっちこっちに分散して散らばってしまうわけです。思い煩いは心を不安定にし、喜びを奪い去り、病気の原因も作ると言われています。心臓障害、高血圧、リューマチ、それに様々な胃腸障害の原因になります。
聖書の中に「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」(箴言17:22)とありますが、思い煩いそのものが健康によくありません。

「思い煩い」ということばは、別の箇所では「心配する」と訳されています。マタイの福音書6章の山上の説教には、次のようにあります。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
「明日」という時も「あさって」という時も神のご支配の中にあり、神のご計画の中にあり、神が愛する私たちのためにすべてを備えてくださる日だというのです。だから私たちは神に感謝し、自分と自分の人生をゆだねていくことができるのです。
「思い煩い」を「感謝と祈り」に取り換えるということです。その結果は神のくださる「平安」です。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていだだきなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
夏休み中もコロナの感染拡大が続きそうです。不安や焦りの気持ちで思い煩いに取り込まれてしまう恐れがありますが、そうなっているなと気づいたとき、このみことばを思い出し、思い悩むのを止めて、代わりに感謝と祈りを神にささげてみましょう。そして、これを新しい生活習慣として身に着けてみましょう。