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その生徒のために今何ができるか

先月、本校の教員の結婚式に招待されました。不安と恐れが付きまとうコロナ禍の中で、敢えて結婚式を挙げられたお二人の決断の背景には、新型コロナに屈することなく、何とかして出席された方々へのこれまでの感謝の気持ちを伝えたいという強い希望があったのだろうと思いました。本校からも学年、教科の同僚がほぼ全員出席し、とても素敵な結婚式でした。その時のスピーチの一部分を紹介させていただきます。

さて、今日は、人間学を学ぶ月刊誌「致知」2007年12月号に載っていた実話を贈りたいと思います。
ある先生が小学校5年生の担任になりました。クラスの生徒の中に、勉強が出来なくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。当然先生は、その生徒の通知表に悪いことばかり記入していました。
ある時先生は、この生徒の過去の通知表を見ます。1年生だった頃の通知表には、「明るくて、友達好き、人にも親切、勉強もよくできる」と書いてあったのです。驚いた先生は、他の通知表も見てみました。
「母親が病気になったために世話をしなければならず、ときどき遅刻する。」(2年生)
「母親が死亡、毎日悲しんでいる。」(3年生)
「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になる。暴力を振るう」(4年生)
そう書かれていました。
先生は、それまでダメな子だと決めつけていた自分に気づき、放課後、その子を呼んで一緒に勉強することにしたのです。「その生徒のために今何ができるか」を考えて、先生ができることから動いたのです。
その子は喜んで、毎日一緒に勉強するようになりました。6年生になり、その子は先生のクラスではなくなりましたが、卒業式のときに、こんなメッセージカードを受け取りました。
「先生は、僕のお母さんのような人です。ありがとうございました。」
その後も数年ごとにその子から先生宛に手紙が届きました。
「先生のお陰で大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています。」
「医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります。」
そして、先日、届いた手紙は結婚式の招待状でした。
「母の席に座ってください。」

この先生は自分が間違っていたと気づきました。そして、その時奇跡の扉がひらいたのです。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
(ヨハネによる福音書 15章13節)