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2学期の始まりによせて

2学期の始まりです。
ただ、この学期はオンラインでの学校生活になります。
楽しいものではありませんし、不安、心配もあります。
このような状況で私たちはどのように心を整えていけばいいのか?
聖書の言葉から心の整え方について考えてみましょう。

「心の貧しい人は幸いだ」とイエス様は言います。
貧しいが幸い。
私たちはこの言葉を簡単に「そうだ」とは言えません。
イエス様の言葉が良く分かりません。
分からなければ考えなければなりません。
「貧しい」が「幸い」
どういうことなのでしょうか。

「貧しい」と反対のことから考えてみましょう。
「豊さ」「たくさん」が恐らく反対にくる言葉でしょう。
「豊か」「たくさん」
わるいものではありません。
エネルギー資源が豊富。
観光資源が豊富。
お金がたくさんある。
仲間がいっぱいいる。
全部いいことです。

いいことですが、
この「たくさん」「豊富」「豊か」を喜んでいるときの私たち、人の心がどうなっているのか?そのことを考えてみましょう。

「たくさん」を喜んでいるときの私たちの心。
「資源」「富」「仲間」
それを喜ぶ。
それがあると嬉しい。
それは私たちが「資源」「富」「仲間」を頼りにしているということでしょう。

「頼りにする」
「依存している」と言ってもいいでしょう。
「依存する」それは「支配される」と同じ意味です。

自分以外のものに頼る。
これは Number One の発想と同じです。
Number One は自分以外のものと比べて自分を確認することです。
自分以外のものがないと Number One を知ることはできません。
自分以外のものに依存、支配されています。

「豊か」「たくさん」
それを喜ぶ心は実は Number One を求める心と同じになっています。

イエス様は「貧しいもの」は幸いだ、と言いました。
頼るものを持っていない。
それは寂しく、心配な状態であるかもしれませんが、
その状態が大事なんだ、大切なんだ、というのです。
頼るものがない。
何にもすがらない。
何も利用しないで自分を見つける。
確認する。
これがわたし。
Only One の心です。

私たちの2学期の始まりは登校することもできない状態です。
豊かなものではありません。
貧しい環境です。
ですが、この環境は Only One と出会える環境でもあります。
「つまらない」「不安」「心配」
確かにそうでしょう。
でも、ただそう思うだけでなく、貧しい状態だからこそ見つけられるものがあります。

心の貧しいものは幸いである。
天の国は彼らのものだ。

貧しいものだからこそ行けるところがあります。


何にも頼らず
余計なものを洗い落として
「そのもの」を見つける。

本当のクラス
本当の学校生活
本当のわたし
Only One

2学期
心を定めて、わたしだからできること。
それを見つめる時間にしていきましょう。

(校長:伊藤大輔)