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【始業式メッセージ】2学期を迎えてーマタイによる福音書15章32~39節よりー

2学期が始まりました。
この学期も私たちが取り組むこと。
Only One、 本当の私
私が神様からいただいている賜物とは何だろう。
それを探すことです。

ただ、その賜物がなかなか見つけられないのは私たちがすでに経験をしていることです。
今日の聖書はなかなか見つけられない賜物ですが、
その賜物にはこういう性質がありますよと、ヒントを与えてくれるものです。

聖書の物語です。
4000人の群衆
お腹をすかせています。
弟子たちの提案は、群衆を解散させましょう、でした。
バラバラにしよう、です。

お腹がすいている。
これは「問題がある」ということです。
問題が生まれると、私たちはどうするか。
問題。
先が見えない。
意見が違う。
考え方が違う。
違いが生まれると私たちは何をするか。
別れていきます。
別のグループを作ります。
別の会社を作ります。
別の国になります。
「違う」がはっきりすれば、私たちは「バラバラになろう」を選択します。
弟子たちの提案と同じです。

ところがイエス様は「解散させるな」と言います。
問題をバラバラにすることで解決するのではなくて、ひとつになることで解決しろ、と言います。
そのためにあなたの持っているもので問題とぶつかって来い、と言います。
物語は弟子たちが自分の持っているもので4000人に挑んで行ったら、その群衆が満腹をした。
問題が解決したとなります。
私たちが持っている賜物はバラバラではなく、ひとつのままで解決することができる性質がある、そのことを物語は告げていることでしょう。

ひとつのまま。
ひとつになる。
これは人間の性質、人の根源と関わっています。

私たちと非常に近い動物「猿」。
猿も人間同様、群れを作ることは知られています。
その群れは大きいもので150匹。
それ以上にはなりません。
猿はお互いに顔が分かっている、それを仲間とします。
顔を知らないもの、それは「私たち」ではない。
自分たちとは違うものだ。
「彼ら」。別のものとします。
顔を知っている150匹が群れの限界値です。

これに対して人間は、顔を知らない人たちとも同じ仲間、共同体だと、考えることができます。
「聖学院」
ここに属したことがある人は仲間だよね、と思えます。
国、民族、同好の士
顔を知らなくても同じだと思えます。
もっと言えばひとつになれると期待、信じています。

まもなく地球上の人間は80億になると言われています。
その80億はひとつになろう、ひとつになれると信じています。
なぜ、人は顔も知らない者同士でも「ひとつ」になることができると思えるのでしょうか。

たとえば「貨幣」
これは私たちをひとつにします。
アメリカはけしからんと怒っている中国でもドルを認めないとは言いません。
喜んで受け取るでしょう。
貨幣とは何ですか。
私たちが「約束」を「信じ」て交換できるものでしょう。
貨幣、通貨には実体はありません。
紙幣や硬貨を実体と考えたいところですが、
世界中で回っている貨幣の内、紙幣、硬貨は1割にも満たない額です。
残りの9割はネット上にある数字です。
その数字を私たちは交換できるとの約束を信じて、貨幣と付き合っています。
貨幣はもちろんたくさんの問題を含んでいます。
ですが、世界をひとつにする可能性を秘めているものです。
その貨幣の根っこにあるものは「信じている」です。

「学校」「組織」「民族」「仲間」「国」「同盟」
これらは私たちを強く結び合わせますが、実体はありません。
ただ「信じている」で成り立っているものです。
人は「信じる」ことで結び合い、大きな群れを作ることに成功しました。
信じることで人は猿よりも大きな群れを作ることができました。
猿とは違うものになりました。
人が人である。
それは「信じる」が根っこにあります。

イエス様はバラバラにするな、と言いました。
あなたの持っているもので世界をひとつにできると示しました。
私たちの賜物は何か。
賜物のひとつの特徴は
世界をひとつにする何かです。
信じる、を引き起こす何かです。

私の賜物
Only One
この学期も探し続けてください。