SEIG NEWS

「祈り」の心(1月20日全校礼拝にて)

ルカによる福音書10章38~42節

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんが。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」


始業式に今学期は「祈り」について考えてほしいと言いました。
目をつむって手を合わせる。
これだけが「祈り」ではありません。
「祈り」は心を整えることです。
心の在り方を定める。
それが祈る、ということです。

今日の聖書は、心の定め方、「祈り」について考えるための大切な物語です。

マルタとマリア
二人の姉妹がいました。
この姉妹がイエス様をお迎えする。
旅の疲れがあるイエス様です。
食事の支度、ゆっくり休めるように部屋を準備する。
マルタはイエス様のために一所懸命に働いていました。
ふと気が付くと妹のマリアがそばにいません。
普段は一緒に働く仲の良い姉妹です。
今日に限ってマリアがいない。
どこにいるのかと探したところ、イエス様の足元にちょこんと座って、お話を聞いている。
この忙しい時に、何もしないとは何事か。
マルタは怒りだします。
そのマリアに何も言わないイエス様にも腹が立ちました。
マルタはイエス様に訴えます。
「妹は何もしません。イエス様、あなたは何も感じないのですか。妹もちゃんと働くように言って下さい」
この言葉に対してイエス様は答えます。
「マルタ、あなたは多くのことに思い悩み心を乱している。しかし、必要なことはただひとつだ。マリアはそれを選んだ。それを彼女から取り上げてはならない」。

ここに「祈り」の心があります。
マルタの態度、これは祈りの心ではありません。
人のことが気になっている。
人が何をしている、何をしていない。
それが気になり、それに自分の心が引っ張られている。
私の心が自分の心ではなくなっています。
他者の言動によって形作られた心になっています。
これは「祈り」の心ではありません。
ですが、これは私たちが常日頃やっていることです。
マルタの姿は私たちの姿でもあります。
マルタの心は私たちの心です。

「祈り」の心。
どういうものか。
マリアが持っています。
何もしない。
ただ聞く。

あれもしなきゃ、これもしなきゃ、
心配事を休ませている。
自分以外のものに心が引っ張られていない。
心に余計なものが貼り付いていない。
ただ、座っている。
ただ、黙っている。

言葉を捨てる。
ただ聞くだけになっている。
マリアの心です。

聞く。
何を聞くのか。
本当の自分の言葉。
言葉にもならない心の音。
ただそれに耳を傾ける。
自分を落とし込む。
本当の自分。
聖学院が語っているOnly Oneです。

本当の心が分かれば、本当に生きることが始まります。
本当に生きるために黙る。
沈黙。
心を整えていきましょう。
祈る生活を始めましょう。