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【高校GIC】哲学-メディア-藝術ゼミでの哲学対話

GIC(Global Innovation Class)独自科目「Project」のひとつ「哲学-メディア-藝術」ゼミは、
・自己の内発的動機や今ある世界への違和感から問う/シコウ(思考/志向/試行)する=「哲学」し、
・それを探究し、自己の外へ開くさまざまな方法と手段=「メディア」を求め、
・それを通して、世界にまだないなにかを創り出す=「藝術」すること
を共通のプロセスとし、ゼミ生が各々の領域・テーマや内容を自分で決めて、個人個人が異なる、さまざまな探究活動を行っています。

今回は、この「哲学-メディア-藝術」の探究プロセスの根幹に位置し、最も重要な「問うこと」の実践を、哲学対話によって行いました。ゲストとして、学校教育や企業・組織で哲学する活動=哲学プラクティスや、教育哲学の研究者である堀越耀介さんをお招きしました。

はじめに、堀越さんから「哲学」とは何をすることなのか?「対話」とは?について、また、哲学対話のルールについてレクチャーを受けました。
・哲学的に考え「わかる」ためには、「わからなくなる」ことが重要であること。
・「答えを出す」ことではなく、「問うこと」「考えること」が重要であること。
・ネット検索すれば答えが出るものではなく、「答えのない問い」を問うこと。
といった、「哲学する」ための「問い方」について学びました。授業や試験などで求められる「答えを出す」「正解を導く」といった考え方とは違う見方に、生徒たちは新鮮な驚きの表情を浮かべて聞き入っていました。  

日常とは違うアタマを使う「哲学対話の心構え」

レクチャーの後は、「哲学する作業の半分」である「問い」を生み出します。
JamBoardを使い、約20名が一挙に思い思いの「哲学的な問い」を考えたところ、わずか10分ほどの時間で、堀越さんも「これまで見たことがない」と驚くほどたくさんの「問い」が出てきました。さすがは「問い続けること」を共通言語にしている生徒たちです。
数多くの問いの中から、対話する問いとして「時間ってなに?」が選ばれました。哲学の歴史の中でも考えられ続けてきた、本格的な問いです。

ひとつひとつが素晴らしい「答えのない問い」です

問いが決まれば、いよいよ対話の時間です。
この問いを提案した生徒による発話を皮切りに、自分自身の視点に立って、それぞれが考え尽くした意見を述べていました。また、「話すこと」だけが目的ではなく、他者の意見をじっくりと聞いて自分の中で考えることや、発言しなくともその場を共有し、共に問うことも哲学対話では重要です。

1時間という短い時間ではありましたが、そこには、どのような意見も(「受け入れる」ではなく)一度しっかりと受け止め、各々が咀嚼し、それに返答したり、受け継いだり、検討して次の考えが編み出されてゆく。そのような、心理的安全性のうえに成り立ち、誰のどのような発言も等しい重さを持つ、確かな「対話」の場(トポス)がありました。

この対話を経て、生徒たちは「答えのない問いを出すこと」や、正解のない場所に留まりながら「問うこと」、そしてそのことについて他者と対話を行う場を作ることといった、日常でも必要でありながら、なかなかそのような経験ができないような時間を過ごすことができました。

重要なのは、「どのような結論が出たか」ではありません(実際、この時間にも時間についてのたくさんの「考察」が出ましたが、「結論」は出ていません)。また、そもそもが「正解のない問い」のため、誰の意見が正しいとか、討論のような勝ち負けもありません。
問い、考えれば考えるほどにわからなくなってゆく。それでも、そこに留まって考え続けてみる。その「わからなさ」のなかに立つこと。哲学対話から得られるのは、そうした経験かもしれません。

 

たしかに、この経験には明確な「成果物」や何かへの「解決策」はありません。また、それらを目的にもしていません。ですが、今日ここで生徒たちが得た学びは、今現在の社会・世界にあるイシューに向き合ってゆくための、もっとも根本的でしかも重要なものに触れています。難しくて疲れたけれど、でも充実していた、というような彼らの感想や表情からは、彼ら自身のなにかが、確かに更新されたのだということが伺えます。

そのことは、「今日出た話の中に、歴史上の哲学者たちが考えてきた〈時間〉についての見解もたくさん含まれていたし、それに追いついて超えてゆくような考えも出てきた。これだけのメンバーが集まったことで、それだけの問う力が生まれる場になった」という、堀越さんの言葉からも読み取れます。
今日の2時間は、このゼミがめざす「問い続けること」を中心に輪をつくり、その中を言葉と思考が駆け巡った素晴らしい時間となりました。

本日の「問い、対話する」経験を礎に、今後も哲学-メディア-藝術ゼミは、世界にいまあるものをシコウし、なにかのメディアを通して表現・表明し、世界を更新するために、問い続けてゆきます。

(文・写真:哲学-メディア-藝術ゼミ顧問 土屋)