【高3古文探究】『好きすぎて滅!』はますらをぶり? 千年前の恋歌と現代のJ-POPをつなぐ
千年前の歌人が読んだ和歌と、私たちが日々聴いている現代のJ-POP。一見すると遠く離れた存在に思える二つの「歌」ですが、その根底にある人間の感情や表現の試みには、どのような共通点があるのでしょうか。高校3年生の「古文探究」の授業では、伊勢物語『月やあらぬ』の読解を出発点として、和歌の歴史を彩る「三大集」の歌風の違いを学び、さらに現代の楽曲へと分析の対象を広げる探究的な授業が行われました。
■ 切ない喪失感を描いた『月やあらぬ』と、古文を「自分ごと」にする視点
授業の前半では、伊勢物語の代表的な一節『月やあらぬ』の読解が行われました。この話は、在原業平が愛する女性(二条の妃/藤原高子)と引き裂かれ、彼女が天皇のもとへ入内してしまったあとの物語です。
「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つは 元の身にして」
(月は昔の月ではないのだろうか、春は昔の春ではないのだろうか。いや、月も春も昔と変わらない。ただ私自身の体だけが元のまま残されているが、心だけが変わってしまったのだろうか)
風物も自分自身も何ひとつ変わっていないのに、愛した「あの人」だけがここにいない。言葉の奥に潜む切ない感情の揺れ動きを丁寧に読み解いていきました。
解説のなかで、島立教諭からは生徒たちへ次のような温かいメッセージが投げかけられました。「これから先、もし辛い恋愛や失恋などを経験したときには、この業平の歌を思い出してほしい。自分の抱える切なさや寂しさは決して自分一人だけのものではなく、一千年以上前の昔の人々も全く同じように悩み、傷つき、それを歌に託していた古文を学ぶ本質的な意義は、そうした千年前の思いに触れることで、自分の苦しみが孤立したものではないと気づき、心が救われたり孤独じゃなくなったりすることにある」
■ 時代とともに移り変わる「三大集」の表現技法
続いて、日本の歌の歴史における三つの到達点である「三大集(万葉集・古今和歌集・新古今和歌集)」の歌風の比較講義が行われました。
・万葉集: 自分の感情を素直かつストレートに表現する
・古今和歌集: 比喩や各種の表現技法を用い、感情を技巧的に整理して伝える
・新古今和歌集: 直接的な感情表現や明確な言葉を避け、情景の余韻や深い雰囲気に情念を込める
百人一首などの具体的な和歌を題材に、「どのように感情が詠み込まれているか」「どのような技法が用いられているか」を比較しながら、時代による美意識や表現方法の変化について知識を整理していきました。
■ 現代のヒット曲を「歌風」で読み解く探究ワーク
授業の後半では、学んだ知見を活用し、現代の楽曲が三大集のどの歌風に分類できるかを考えました。提示された楽曲は、生徒たちにも馴染み深い以下のラインナップです。
・M!LK『好きすぎて滅』
・あいみょん『マリーゴールド』
・Official髭男dism『Pretender』
「『好きすぎて滅』は溢れる感情をストレートに言葉へ乗せているから、間違いなく『万葉集』に近い」 「あいみょんの『マリーゴールド』は、目の前の風景や花に恋心を重ね合わせて表現している点に『古今和歌集』を感じる」 「直接的に言葉にし尽くさず、切ない情景や複雑な葛藤の余韻を残す『Pretender』は、『新古今和歌集』」
生徒たちは独自の視点で歌詞の表現構造を分解し、千年前の歌風と現代の音楽表現を結びつけていきます。授業風景には、知識を覚える対象としてではなく、自らの感性と言語感覚を駆使して「現代の歌を再発見」しようとする生き生きとした姿がありました。
■ 問いを通じて深まる古典への親しみ
古文という一見遠い存在に思える学問も、現代の文化や自らの感覚へと引き寄せることで、言葉の深みや表現の面白さを実感できる生きた教材へと変化します。
「自分はこの歌をどう分析するのか」「言葉の裏に隠された意図をどう捉えるのか」生徒たちが自らの思考を巡らせ、楽しそうに議論を深めた今回の授業は、古典を好きになるきっかけとなると同時に、自律的な問いを立てて言葉を探求していく貴重な機会となりました。







